ミネルヴァ・ノート

教育学研究科・教育学部インタビュー

TOHOKU UNIVERSITY

02

子どもや患者の思考や行動に、
「現象学」の立場から光をあて、
哲学を再構築したい。

SAWADA Tetsuo

教育学研究科 総合教育科学専攻
准教授

SAWADA Tetsuo

澤田 哲生

2023.1.19

「現象学」という哲学の考え方を起点として、子どもや患者の思考や行動に迫るべく研究に取り組む澤田哲生准教授。哲学との出会い、フランスへの4年半の留学、そして、哲学研究者としての東北大学教育学部への着任。そのなかで何を考え、何を大切にしてきたのかを語ってもらった。

━━ 現在先生が研究されているテーマ、課題について教えてください。

子どもや患者の思考や行動を哲学・倫理学の観点から研究しています。ここから、哲学史のなかでこれまで重視されてこなかった、子どもや患者という存在を哲学に組み込むことを研究課題としています。

━━ そのテーマ、課題について研究することになったきっかけや経緯について教えてください。

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哲学や倫理学を研究してきたなかで気づいたことですが、子どもや患者は長い哲学史の伝統のなかで、それほど重視されてきませんでした。潮目が変わったのは、20世紀に現象学という思想がヨーロッパに定着した頃です。私は現象学の創設者であるフッサール(1859-1938年)、現象学を戦後のフランスに導入したメルロ=ポンティ(1908-1961年)、20世紀後半から今世紀にかけて現象学の可能性を拡張したマルク・リシール(1943-2015年)という思想家の哲学をこれまで研究してきました。彼らは、従来の伝統的な視点を一度遮断して、一見すると未熟や異常ととらえられがちな子どもや患者という存在に新たな可能性を発見しました。こうした背景が現在の研究テーマに打ち込むきっかけとなっています。

━━ 先生がご専門とする「現象学」とは、そもそもどんな考え方なのでしょうか?

リンゴが1個あるとします。主観の側で意識上に現れているリンゴと、自分の外側で客観的に存在しているリンゴは違うというのが現象学の考え方です。誰もが合意形成できるような、たとえばリンゴの成分といった客観的に解析できるような水準でのリンゴが実際に見えるならば話は別ですが、そこまで私たちは見ていないわけです。私たちが見るというときは、まず意識上に現れていて、見る側がいるというのが前提になっています。現象学では、見られる側だけでなく、見る側、ひいては両者の関係を重視するわけです。フッサール以前の哲学、英米系の哲学では、客観的に存在するものを疑うということはしませんでした。それに対してフッサールは、主観の側で意識上に現れているものと、自分の外側で客観的に存在しているものは違うと考えました。人によって見え方は違うし、意識上に現れてくる現れ方というのもそれぞれ違う。そうなると、人が介在しない客観的な水準でのものではなく、人とものとの関係でその人に現れてくるものがある。それを「意識上の現象」とフッサールは呼んだのです。

意識上の現象だとすると、原始社会の人にとって、他人やものはどういうふうに見えているのか、どういうふうに意識上に現れてくるのか、あるいはメルロ=ポンティであれば、患者や子どもの研究を通して、大人ではない人間や健常ではない人間にとって、他人やものはどのように現れてくるのか、そこでどのような関係が取り結ばれているか、こんな形でいろいろな学問分野に議論が波及していくわけです。現象学が国境を越え、学問分野を超えて広がっていくなかで、既存の学説が少しずつ柔軟に変化していく。こうした現象学の広がりから、現象学の研究は「現象学運動」という言い方もされています。

━━ そうした哲学、とりわけ現象学の学びは、教育学部での学びにどのように関わってくるのでしょうか?

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私の所属は教育学コースの人間形成論という分野です。教育を広く見れば、そこには「人間形成」の側面があります。人は学校で知識を学ぶだけでなく、学校の外で、家庭で、地域社会でも多くのことを学びます。成長したのち、自分の過去の経験からも多くのことを学ぶでしょう。さらに、学校を出て働き始めた後も、学びは終わらないはずです。こうしたトータルな学びの在り方、そしてその探求が人間形成という学問分野の使命といえます。

私が研究する現象学という思想は、乳幼児期、幼年期、青年期、壮年期、等々、人間が経験するさまざまな段階を、一過性の出来事でなく、一つの特別な現象として分析し、その成果を大人としての人間の生活にフィードバックします。人間形成の各段階、各段階のつながりと推移、さらにはその特殊性を探求することが、教育学部における哲学の役割といえるでしょう。

━━ そうした学びや研究の面白さは、どういったところにあると思われますか?

他者、物、広くいえば世界など、自分と関わるものの見方が刷新されるところです。哲学の研究は、基本的に、書物の読解と考察にあります。砂を噛むような作業に見えますが、書物は、人類が残し続け、今後も残し続けるはずの知的遺産でもあります。また、書物は何度読んでも新しい発見があり、読み手の物の見方をそのつど更新してくれます。翻って、「人間形成」というものも、書物の読解と同じように、試行錯誤の歩みのなかを進んでいきます。人間形成を学ぶ上で、哲学書をはじめとした古今東西の書物を読み解く――味わうといってもいいかもしれません――作業には重要な意義があると考えています。

━━ 今後、先生の研究はどのように発展、展開していくとお考えですか?

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現代という時代は、さまざまな水準において、異なる人びととの「共生」が重視される時代です。他者を理解し他者と共に生きていくことは、人類の普遍的なテーマでもあるでしょう。私の研究も、今後こうしたテーマに進んでいくかと思われます。

それと同時に、子どもや患者といった哲学が十分にとらえられなかった存在を哲学に組み込むことで、新たな哲学の構築へと研究を発展させていきたいと思います。先程、長い哲学史の伝統のなかで、子どもや患者はそれほど重視されてこなかったと述べました。これは、哲学者が想定している人間というのがかなり狭い人間、つまり大人で健常者、しかも男性だったということによるものです。現象学という思想は、そこから外れた人間を救い上げたという功績があります。しかもそうした人々にとって、物がどういうふうに見えているか、周囲の人間がどういうふうに見えているか、それぞれがどのように交流しているかをありのままに記述しようと努めました。そうした現象学の考え方を用いて、哲学を万人向けに再構成できればと考えています。これは私個人の研究生活ではおそらく完結せず、次世代に引き継がれる課題になるでしょう。

━━ 大学外での活動や取り組みはありますか?

東北大学の前身である東北帝国大学では、フライブルク大学のフッサールの下で学んだ何名かの先生が教鞭をとられていました。戦後に総長となられた高橋里美(1886-1964年、1949-1957年:東北大学総長)教授もそのお一人で、その後も、現象学分野で著名な研究者をたくさん輩出してきたのが、この東北大学です。

私は2022年度から東北大学教育学部に着任しましたが、地域や近隣の大学に現象学を研究する人が多く、また幸運なことに、現象学に関心を持ってくれそうな学生もちらほら出てきています。それぞれの研究活動の活性化のために、哲学という学問分野に制限されない、広い意味での現象学の研究拠点を現在作ろうとしています。具体的には、「東北現象学サークル」という研究組織を立ち上げることを計画しています。

━━ 先生は、宇都宮大学国際学部入学に始まり、東京大学大学院、さらにパリ第12大学に留学されました。どういう思いでそれぞれの進路を選ばれてきたのかお聞きしたいのですが…。

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高校生の頃は大学進学についてあまりまじめに考えていませんでした。宇都宮大学国際学部では、フランス語、ドイツ語、哲学、文学、等々を学びました。4年生になって、とりわけ、フランス語と哲学(現象学)をもう少し勉強したいと考え始めました。さらに、もともとヨーロッパの都市文化、とりわけサッカーとスタジアムの文化が好きだったので、実際にヨーロッパに住んでみたいという思いも芽生え始め、そうした経緯から、哲学とフランス語が両方勉強できる、さらには正規留学のノウハウもある東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻に進学しました。東京大学大学院では、主にメルロ=ポンティの現象学を研究しました。メルロ=ポンティに関する二次文献を読んでいるとき、マルク・リシールという現象学者の著書や論文に出会い、その強靭な論理と明晰な思考に衝撃を受けました。調べてみると、パリ第7大学と第12大学(現パリ東大学)で教鞭をとっていることがわかりましたので、修士課程の修了と前後して連絡を取り、彼の指導下での研究が許可され、留学することになりました。リシールはパリ第7大学では精神病理学と精神分析の講座を、パリ第12大学では哲学と認識論の講座を担当していたので、パリ第12大学を選びました。

━━ パリ第12大学での4年半の留学生活はどんなものだったのですか?

1年目が博士論文執筆のための資格を取る課程(DEA課程)で、残りの3年間が博士課程でした。外国人だからといって、手心を加えられることは一切なかったので、最初の1年間は苦労しました。専門用語にはある程度習熟していたので、大学の勉強にそれほど支障はなかったのですが、日常生活に必要なフランス語がわからず、むしろその方が大変でしたね。ヨーロッパは自己主張の強い文化ですので、議論の際など、自分は喋るのが下手だなあとか、ああいう表現をすればよかったなあとか、後悔しながら、傷つきながらという日々でした。とはいえ、パリ第12大学は優しい先生方が多く、その点はとても恵まれていました。コスモポリタンな雰囲気にあふれ、いろいろな国の学生を受け入れてくれる先生方ばかりでした。

━━ 大学で学んでよかったと思えることは何ですか。

まずは、さまざまな人に出会い、触発されたことです。次に、自分と向き合える時間ができたことだと思います。

━━ 東北大学教育学部の研究・教育環境の良いところはどんなところでしょうか?

教育という切り口から研究を行う際、研究対象は「人間形成」というきわめて具体的なものであります。そういう意味では、哲学や倫理学の難しい概念ばかりを教育したり研究したりするわけではなく、そうしたところに魅力を感じています。哲学の教員は私以外にいませんが、同僚には教育史、文化人類学、社会学の先生もおり、学ぶことは多くあると感じています。現象学は学問領域を横断するようなスタイルの学問分野ですので、その点は恵まれた環境かと思います。

私の研究自体は書物を中心としたものですが、教育学部では、フィールドワーク、実験、等々、多様なアプローチからの研究が可能であり、優秀な先生方も多く、研究の質も十分に保証されています。かたや教育に関しては、教員数に対する1学年の学生数が多くないので、アクティブ・ラーニングの環境が全般的に整備されています。卒論でも指導学生に時間をかけて、ていねいな指導ができるのも大きな魅力ではないでしょうか。

━━ 哲学の研究者はどんな研究者生活を送っているのか、見当がつかないだけに興味のあるところでもあるのですが…。

哲学研究者の基本はやはり文献です。ひたすら文献です。何か読むたびに新しい発見があります。何かふとしたときにこう読めるんだと思える瞬間があるのですが、そこで重要なのが文献を読んでいない時間とのバランスです。美術館に作品を見に行って新しい表現に出会ったり、山登りで肉体を酷使してみたり、あるいは自分の専門分野とは関係のない地域の人たちと知り合い、一緒に遊んだりするのも大切です。

本音を言うと、文献を読んでいるだけの方がずっと楽です。でも、そうすると出不精になりがちです。そうではなく、それが直に役立つことはないにしても、何か読み方が変わるのではないかとか、アイデアが浮かぶのではないかとか、読んでいない時間に外でどれくらいいろいろなものを見るかが、哲学研究者にとってはとても重要だと思いますね。外国で開催される哲学の学会に参加するのも、違いがわかるという点で欠かせないアクションです。

━━ オフの時間には、山登りをすることが多いのですか?

2020年の3月まで、富山大学人文学部に在籍していました。北アルプスという日本有数の山岳地帯に囲まれた地域でしたので、初夏から初秋の毎週末は晴れれば登山をしていました。冬は、残念ながらこれは一向に上達しないのですが、スキーによく行っていました。東北地方も山野に恵まれた地域ですので、これから登山とスキーに挑戦したいですね。

━━ もし大学の研究者・教員でなければ、どんな仕事に就いていたと思われますか?

現在と同じく私が大学院を出た当時も、研究者は就職難に直面していました。それもあって、博士課程を終えるまでは研究職を本気では志望していませんでした。しかし、フランスでの留学生活がある種のバネやきっかけとなり、さらには多くの偶然が重なって、教育・研究職に就くことができました。仮に研究者や教員になっていなければ、ヨーロッパに残って、何か語学を生かした仕事をしていたと思います。ヨーロッパのサッカー文化が好きなので、サッカー関係の仕事をしていたかもしれません。

━━ 現在、そして未来の教育学部生に望むことは何ですか?

大学での学びにおいて、授業は「点」の役割を担います。授業ですべてを学ぶのでなく、授業という「点」を繋いでいくことが重要です。そのためには、学生さんたちの授業外での自発的な学びや経験が重要となります。授業外でも遠慮なく教員をつかまえ、自分がやりたいことを相談してください。さらに大学外でも、書物、旅、アルバイト、課外活動、人との出会いなど、多くのことを経験し、学びに厚みを加えてくれたらうれしく思います。

学生時代というのは、失敗が許される時代です。失敗を恐れず、試行錯誤しながら、さまざまなことに挑戦してください。

忘れられた日本人

著者:宮本常一
出版社:岩波書店(岩波文庫)
発行:初版1960年

民俗学者の著作ですが、自分が見ているものをありのままに記述できているという点で、これは現象学者の仕事だと思っています。フィールドワークした地域の風景や人々について、宮本はそこに何年も住んでいたかのような濃密な記述をします。調査対象への偏見を排したまなざし、簡潔でありながら奥行きのある文章は、どの学問分野の人にも参考になるはずです。

Profile

澤田 哲生SAWADA Tetsuo

静岡県立静岡南高校(現・静岡県立駿河総合高等学校)出身。独立行政法人日本学術振興会特別研究員(DC2:2008-2010年、PD:2010-2013年)、東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学研究教育センター」共同研究員(2010-2012年)、静岡大学人文社会科学部非常勤講師(2010-2013年)を経て、2013年、富山大学人文学部准教授に着任。2022年から東北大学教育学研究科・教育学部 生涯教育科学コース准教授。

教育学研究科・教育学部 教員プロフィール