
東北大の教育学部で
「探究心」に火が点いた。
文部科学省、コンサル、教育長。
どの仕事にも求められる
大切な学びを得た場所。
TAKAHASHI Yohei
鎌倉市教育委員会教育長
TAKAHASHI Yohei
高橋 洋平
2024.6.10
キャリアのすべてを生かして取り組む教育長の仕事。
━━現職の「教育長」という仕事について教えてください。
━━今、高橋教育長が力を入れている取り組みは何でしょうか。

全国で不登校の子どもたちが増加し、全国では約30万人もの小中学生が学校に長期的に出席できていません。鎌倉市でも全国同様に増加傾向となっています。 子どもたちにはそれぞれユニークな学びの特性や個性を持っていますが、学校の一律の指導形態などがフィットせず、学校に行くのがつらい状態になっている子が見受けられます。現在、かまくらULTLAプログラムという不登校の子どもたち向けの学習プログラムを実施しており、鎌倉の海や森などを使って、子どもたちの学びの特性や個性に応じた体験型の学びの場をつくっています。 この取組に一定の手応えを感じていることから、2024年4月には学びの多様化学校(不登校特例校)を設置する予定にしています。文部科学省からカリキュラムを柔軟にする特例を受け、自分らしく学び、自分らしく成長できる学校を目指します。 コンセプトとしては、子どもが学校に合わせるから「学校が子どもに合わせる」へ、大人が提供する学びの場から「自分たちでつくりあげていく学びの場」へ、同一学年・クラスから「異学年・少人数・個別など多様なスタイルで学ぶ」へ、学校内で学ぶから「海や森、まちなど鎌倉全体で、様々な人々と関わりながら学ぶ」へと、学校の学びを転換させていきます。 私はここを学校に通うことのできない子どもたちのセーフティネットというのみならず、学校になじめない子どもたちも、ここでなら個性や特性に応じた個別最適で協働的な学びが実現できる学校にしたいと思っています。そして、市内や全国の学校へ、この取組から得られるヒントを波及させていきたいと思っています。
震災後の学校再開で現地の子どもに言われた一言。
━━高橋教育長のこれまでのキャリアについて伺いたいと思います。まず、文部科学省時代に特に印象的だった仕事は何でしょうか。

どれも印象的な仕事ばかりでしたが、2つ挙げたいと思います。
私が入省したのは2005年。そこからしばらく経った2009年に、政権交代が起きて自民党から民主党政権になりました。政策が次々と変わっていく中、それらを実現すべく法律や予算と向き合う日々が続きました。高等学校の授業料の無償化に関する法律を起草し、内閣法制局と調整して、法案を国会に提出し、国会審議の前に大臣や副大臣にレクチャーするなど、政策を形にするために奔走したことは、非常に印象に残っています。これに限らず文部科学省での仕事は、大量の文章を読み・書き、省内外とタフな調整を行う日々で、仕事をする上で欠かせない筋肉をつけることができました。
もう一つは、2016年に福島県教育委員会に出向した頃の仕事です。原発事故があった福島では、徐々に避難指示が解除され、避難先の仮設校舎から地元に戻る「学校再開」プロジェクトが動き出していました。誰もやったことのない、そこにしかない仕事です。このとき、教育委員会の総務課長(教育行政の企画や予算などを調整する職。震災後の教育の復興を担当)という立場だった私は、原体験ともいえる経験をします。
ある村の学校再開に向け、震災前よりも素敵な学校生活を送ってもらえるよう、新しい校舎やカリキュラムなど、準備を全力で進めていました。ついにプレハブの仮設校舎の閉校式にまで至り、村の教育関係者と復興の進捗を喜びあっていたときに、ある小学6年生の女の子に言われたのです。「ここは、仮設校舎なんかじゃない。仮設といわないで」と。彼女にとって、小学校生活のほとんどを過ごした校舎は、十分な環境じゃなくても、先生と学び、友達と切磋琢磨して一緒に過ごした「本物」の校舎だったはず。それを仮設といわれ続けて、悔しかったのだと思います。復興という仕事に懸命になるあまり、目の前の一人の子どもの気持ちや目線に立てていなかったということ、ものすごく反省させられました。子どもたちは「いま」を生きているのです。 これが私の原体験であり、教育政策や教育ビジョンを語るうえでも、大人の視点になってしまいがちですが、他でもない子どもたちのいまとこれからの視点に立って仕事するように心がけているつもりです。
マーケットインの視点を与えてくれたコンサル会社。
━━長年、文部科学省で活躍された後、コンサル会社に転職された理由についてお聞かせください。
文部科学省時代も、初等中等教育だけではなく、高等教育や研究振興など幅広く仕事をしましたし、米カリフォルニア大バークレー校で2年間働く経験もさせていただきました。異動の度に、転職したかのような刺激があり、どれも大きな力になったと思います。
文部科学省の仕事に不満があったわけではないのですが、文部科学省のいう正しいことを「本当に正しいもの」にするため、教育委員会や大学などを支え・助け、政策を実装していく仕事に注力したいと思いました。
外資系のコンサルティング会社に転職し、教育チームをつくりました。力を入れたのは、学習者中心の教育への転換や学校の働き方改革などです。職は変わっても公教育や子どもたちのためにという軸は東北大に入学した頃から、全くぶれていないと思っています。ただ、民間の立場になったことで、学習者側(マーケット側)の発想が、よりリアルに感じ取れるようになったのは大きな変化でした。
こうして、国家公務員、民間企業、地方公務員と渡り歩いてきたわけですが、立場が変わっても、常に探究し続ける姿勢でいられたのは、東北大学教育学部での学びも強く影響しています。
東北大学で点いた探究心の火が今も燃え続けている。
━━教育学部での学びで得られたものは何でしょうか。

父が教員だったこともあり、教員になりたいという思いもありました。一方で、教育行政学や教育社会学を学び、教育をめぐる「仕組みづくり」を仕事にすることで、より広い範囲の子どもたちの教育をより良いものにできるのではないかと考え、東北大学の教育学部を志望しました。
入学後は、「探究の精神」に火を点けていただきました。学びたいテーマを自分で決めて、仲間とディスカッションしたり、先生からさまざまな問いを投げかけていただいたりする中で、学問の面白さに目覚めていきました。また、教育学部は少人数で、教育の未来を真剣に考えている心の温かい学生ばかりでした。そんなアットホームな環境で切磋琢磨しながら学べた2001年~2005年までの4年間は、今でも貴重だったと思います。
卒業論文で取り上げたのは、国の「義務教育費国庫負担制度」についてです。当時の小泉純一郎内閣で行われた三位一体改革の一環で、義務教育費国庫負担金の補助率が引き下げられたのですが、この政治・行政的な力学がどういうものだったのかを、教育行政学などの観点から分析しました。今思うと稚拙で恥ずかしい部分もありますが、当時の先生方から非常に良い問いをいただき、考えを深めていくというすばらしい探究体験をしました。文部科学省に入って、先輩方から当時の折衝の様子などを聞き、実際の仕事と学びが接続したことを思い出します。
大学を卒業してからも、一貫して教育政策に携わり、多様な立場から子どもたちの学びに関わり続けています。その起点にあるのは、大学時代に出会った学問、そして先生や仲間とともに学んだことで心に灯った、炭火のように燃え続ける探究心です。
━━卒業後、教育に携わるさまざまな進路がある中で、文部科学省を選んだ理由を教えてください。
もともと教員になる道も考えていましたが、教員だと自分のクラスの子どもたちを幸せにすることはできても、他の子どもたちを幸せにすることはできないかもしれない。そこで、日本全体の子どもたちの可能性を引き上げられるような、構造から携わる仕事がしたいと思い、文部科学省を志望しました。東北大学から入省された先輩方に話を伺ったり、試験に必要な法律の勉強をしたりして採用試験に挑みました。試験をパスした後、希望する省庁の面接を受けて、マッチングすれば採用という流れです。文部科学省でも採用の担当などをやっていましたが、基本的には今でも流れは変わっていません。省内でも東北大学関係者はとても優秀な人という印象があります。
私は国家公務員の道を進みましたが、当時同じ研究室にいたメンバーは、教員、研究者、民間企業と、それぞれの進路を選び今でも各分野で活躍しています。教育学部で学んだことを生かせる場所は、社会の中に多様にあります。特に昨今は、文部科学省に限らず、公教育の根本に届く取組を行うアクターが増えてきました。例えば、EdTech(エドテック)というテクノロジー分野もその一つです。
こうしたさまざまな立場から、学びがより豊かになるよう力を尽くすことができます。その基盤となる探究精神を、東北大学教育学部で見つけてほしいと思います。
AIにはできない資質能力を育てられる大学生活を。
━━最後に、学生の皆さんにアドバイスをお願いします。
生成AIに実際に触れてみると、その利便性や進展のスピードに驚きます。これから先、ただ覚えるだけの知識はさらに陳腐化していくでしょうし、正確な作業や反復はAIの得意分野です。
大学進学を目指している皆さんは、今のうちから自分の好きなことや関心のあることを探して、「どうしてこうなった?」「なぜ、いつからこうなった?」と、問いを深めていってください。問いを立てたり探究したり、そのプロセスを楽しんだりするのは、人間だからできることです。それはAIには置き換えられないことです。
東北大学教育学部は、こうした力を身につけるのにふさわしい場所だと思います。深く考え、クリティカルシンキングする学びの醍醐味を、ぜひ体感してください。
社会人は限られた時間で生産性を上げる働き方が求められてしまい、時間を気にせず、じっくり突き詰める時間が持ちにくいです。本来、何か課題を解決しても、新たな問が生まれ、探究に終わりはないはずなので、もっともっと深めていくべきなのです。大学では、時間を有意義に使って、ご自身の探究を好きなだけ深めていってほしいです。
私も東北大卒業後しばらく仕事した後、米国の大学にわたって2年ほどいましたが、素晴らしい時間でした。いまでも大学に戻ることができるタイミングをいつでも狙っています。

夜と霧(新版)
著者:ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳
出版社:みすず書房
発行:2002年11月
アウシュビッツから生還したフランクルは「人生はどんな状況でも意味がある」と説き、絶望の中でも希望を失わなかった人たちの姿から、人間の生きる意味とは何なのか探究します。13年前の東日本大震災と原発事故、新型コロナウイルス感染症、そして2024年能登半島地震と災厄の多き時代に生きる意味を探す皆さんへ。

Profile
高橋 洋平TAKAHASHI Yohei
仙台育英学園高等学校卒。東北大学教育学部を卒業後、2005年に文部科学省に入省。初等中等教育行政を中心に経験。福島県教育総務課長やカリフォルニア大学バークレー校客員研究員、文部科学省教育改革推進室専門官、私学助成課課長補佐、学校デジタル化プロジェクトチームサブリーダーなどを経て退職。PwCコンサルティング合同会社教育チームマネージャーを経て、2023年8月より現職。
[学士論文]
地方分権の推進と教育財政改革-義務教育費国庫負担制度見直し議論を中心に-