知的好奇心に火を灯し、
社会を動かす力へ。
UCHIDA Hiroyuki
いわき市長
UCHIDA Hiroyuki
内田 広之
2026.3.25
剣道の恩師に学んだ教育の力と、思考を鍛える文武両道の精神
━━まず、内田市長の高校時代についてお聞かせください。
高校時代は、まじめに勉強に打ち込んだ3年間でした。中学校では剣道部のキャプテンを務め、部活動に心血を注いでいたのですが、地元の進学校である磐城高校にはギリギリの点数で合格したので、このまま剣道を続けていたら、大学には到底合格できないという強い危機感を抱いていました。昭和47年生まれの第2次ベビーブーム世代で、大学受験が今よりもずっと熾烈だったことも背景にあります。
ただ、勉強一辺倒ではメリハリが効かず、かえって非効率になってしまいます。そこで、近所の剣道道場へ息抜きとして通い続けました。勉強とスポーツの割合は7:3くらいで、身体を動かすことで、リフレッシュして集中力を維持するように心がけていました。
また、この時期には読書にも没頭しました。当時から「将来は学校の先生になりたい」という夢があったため、高校生ながらに教育実践や教育哲学、教育政策に関する本を手に取っていました。ルソーの『エミール』やデカルトの『学校と教育』などの世界的名著を初めて読み、知的な刺激を受けたのもこの頃です。
━━その頃から既に教育という分野に関心を持たれていたのですね。教師を目指した具体的なきっかけは何だったのでしょうか?

剣道の恩師との出会いです。私は小学生の頃、背がとても低いほうで、体格も細身でした。剣道は柔道のような階級別がありませんから、体が小さいことは圧倒的に不利になります。それでも、その先生は「背が低くても、痩せていても勝てる技がある」と、私の個性を活かした戦い方を根気強く教えてくださいました。
その指導のおかげで、私は剣道がさらに好きになり、実際に強くなることができました。この経験を通じて、「教育によって人はこれほどまでに成長できるのか」という可能性を実感しました。恩師は高校の教師でもあったため、その背中に憧れを抱くようになりました。
先生がよく口にされていた「文武両道」という言葉も、私の座右の銘になりました。「優れた思考力や論理力がなければ、勝負の世界でも強くなれない。スポーツと勉強、その両方を鍛えなさい」という教えは、私を机に向かわせる大きな原動力となり、気づけば勉強そのものが好きになっていました。
━━数ある大学の中で、東北大学を志望した理由を教えてください。

当時は現在のようにインターネットもSNSもありませんから、頼りになるのは『螢雪時代』のような受験情報誌でした。全国には教員免許を取得できる大学が数多くありましたが、東北大学の教育学部は、免許取得にとどまらず、教育哲学、教育心理学、教育行政学といった学問としての教育を深く追究できる場所だと知りました。高校時代に本を読んで抱いた疑問を、ここでなら解き明かせるのではないか。そう直感したことが決め手でした。
また、家庭の事情もありました。私の身近な大人たちに大学卒業者がほとんどおらず、家計も決して裕福ではありませんでした。弟と妹もいましたから、「行くからには明確な目的意識を持って学びたい」「親に負担をかけない国立大学で力をつけたい」という気持ちがありました。
━━高校時代はどのように勉強していましたか?
当時は地方に予備校もなく、学校の授業と受験雑誌を頼りにした完全な独学でした。しかし現役時代は力及ばず、浪人生活を送ることになり予備校に入学しましたが、その時に暮らした賄い付きの下宿での生活は今でも良い思い出です。10人ほどの浪人生たちが集まり、風呂やトイレは共同。一人暮らしなら不安に押しつぶされていたかもしれませんが、志を同じくする仲間と夜遅くまで語り合った経験は、受験勉強の大きな支えになりました。
「研究第一主義」のなかで磨かれた、一生モノの思考基盤
━━念願叶って入学した東北大学の学生生活が始まってみて、いかがでしたか?
東北大学の掲げる「研究第一主義」という理念は、文系学部の学生だった私にも強く響きました。当時の東北大は、工学部をはじめとする理系分野が世界的な研究で産業を牽引しており、キャンパス全体に研究を重んじる雰囲気が漂っていました。この空気感が、私の性格に非常に合っていたのだと思います。
当時の教育学部では、1・2年次に広い教養を身につけた後、3年次から各専攻に分かれるカリキュラムでした。入学した瞬間から「自分はどの分野を専攻するのか」が学生同士の共通の関心事になるほど、みんな学ぶことに対して誠実でした。
私は、徐々に教育行政学への関心を強めていきました。一般教養で憲法や行政法、行政訴訟法などを学ぶなかで、制度としての教育のあり方に惹かれていきました。大学の先生方は、学生が質問に行けばいくらでも時間を割いて真剣に向き合ってくれました。膨大なレポート課題もありましたが、どれもが知的好奇心を刺激する面白いものばかりでした。
━━ゼミや授業での学びが、現在の基盤になっていると感じる部分はありますか?

大いにありますね。特にゼミでの議論は熾烈でした。卒業論文のテーマを発表すれば、先生や先輩から論理の甘さを容赦なく突っ込まれます。それに対してどう反論し、再構築するか。教育行政学の専攻は同級生が10人程度の少人数だったこともあり、徹底的に鍛えられました。
大学時代に培ったプレゼンテーション能力、ワープロを駆使して論理的なレポートを書き上げる力、そして上下関係を越えて建設的に議論する姿勢。これらすべてが、私の社会人としての土台を作ってくれました。
━━教育行政学を専攻された際、入学当初と比べて心境の変化はありましたか?
当初はより高度な知識を備えた教師になりたいという思いで入学しましたが、学問として教育行政を学ぶうちに、教育行政の力で、現場の先生方をバックアップするという仕事の重要性に気づかされました。学校をどう面白くするか、指導力のある教員をどう増やすか。仕組みを整えることで、一人の教師として関わるよりも、はるかに多くの人々に貢献できる。そこに大きな魅力を感じ、自分にはこちらの方が向いているのではないかと考えるようになりました。
激しい議論が展開される授業や自主ゼミで、知的好奇心を刺激される
━━印象に残っている授業やエピソードを教えてください。
木村力雄先生の教育行政学の講義は、今でも鮮明に覚えています。木村先生は初代文科大臣の森有礼を研究されていましたが、その授業風景がとにかく凄まじかった。先生の高度な話に対し、先輩たちが次々と手を挙げて鋭い批判や反論をぶつけ、激しい議論が展開されていました。
新入生だった私は、話している内容こそ完全には理解できませんでしたが、その知的な議論を繰り広げる姿に「なんてかっこいいんだ」と猛烈に憧れました。「自分もいつかあの議論に加わりたい」という一心で、授業に出たキーワードを片っ端から図書館で調べ、森有礼の著作や関連書籍を読み漁りました。あの時、私の知的好奇心に火が灯ったのだと思います。
もう一つ印象に残っているのは、大桃敏行先生の授業で、教育政策や教育行政のイロハを学びました。初心者にもわかりやすく基礎力がつきました。後に、私は東大の大学院に進学しますが、そこで大桃先生が教育政策の教授をされていたので、二度教えを受けることができました。
卒業論文では、地方教育行政法における指導主事の役割をテーマに選び、その制度が作られたプロセスを徹底的に調査しました。先生や先輩からの厳しい指導を受けながら、論理の組み立て方を学んだプロセスは、その後の文部省(現・文部科学省)入省にも役立ちました。
また、勉強以外では「自主ゼミ」というサークル活動のような組織にも参加していました。毎週誰かが担当となって自分の好きなテーマを発表し、上級生や大学院生からボコボコに批判されるのですが、それが最高の学びの場でした。議論が終わればみんなで宴会を楽しむ。そんな東北大らしい文化を存分に謳歌しました。
深夜のコンビニバイトや家庭教師も経験しました。文部省に入れば似たような境遇の人ばかりが集まる傾向にありますが、学生時代に多様な価値観を持つ人々と出会い、悩みを聞き、社会の縮図に触れたことは、行政官、そして市長となった今でも貴重な財産になっています。
官僚から市長へ。大学で得た知的好奇心が自身を支える
━━文部省への入省を決めたのは、どのような想いからだったのでしょうか?

大学で学んだ知識を活かし、制度の面から日本の教育を支えたいという一念でした。当時の官僚組織は東大出身者が主流で、私のような東北大教育学部の出身者は珍しく、最初は記念受験のつもりでした。受からなくても、官庁訪問での面談そのものが自分の成長に繋がると考えました。
しかし、実際の面談では4年間積み上げてきた教育行政への知識が思わぬ武器になりました。当時の課長や補佐の方々が驚くほど文部省の歴史や制度を語ったところ、「君は本当によく勉強しているね」と評価していただき、採用が決まりました。まさに、木村先生や大桃先生から教わった知的好奇心を突き詰める姿勢が、私のキャリアを切り拓いてくれたのです。
━━その後、キャリアの途中で東京大学の大学院にも進まれていますね。
入省して19年目のことです。当時は文化庁に人事異動した時期でした。長年、法律改正などに携わってきましたが、あまりの多忙さに、ふと何のために働いているのかを見失いかけていました。気づけば国会議員の顔色を窺い、永田町の論理に染まりかけている自分がいました。
現場で働く先生方を支え、その先の子どもたちの幸せのために教育行政を志した原点に戻りたい。その初心に戻り、働きながら大学院に通うことを決めました。そこでは20代の若者や現職の教師など、多様な立場の人々と対等に議論することができ、凝り固まっていた自分の思考が解きほぐされていきました。官僚という立場を気にせず本音で語り合う経験は、自分の原点を思い出すだけでなく、リフレッシュにもなりました。
━━その経験や大学時代の学びは、現在の市長としての活動にどう活かされていますか?

知的好奇心を持ち続け、自ら調べて考えるという姿勢を今でも大切にしています。政治の世界にいると、どうしても教育無償化や現金給付といった人気取りの政策や、議会への対応ばかりに目が向きがちです。しかし、施策一つひとつに対して、本当にそれで市民が幸せになれるのかを自分の頭で徹底的に考え抜かなければなりません。
いわき市では教育に力を入れています。中学生のキャリア教育もその一つです。エネルギー政策や地域課題をテーマに、中学生たちが1年かけてフィールドワークや探究活動を行うのですが、先日の発表会では彼らの目覚ましい成長に感動しました。
私は市長として、職員から上がってきた原稿をただ読み上げるだけにならないように心がけています。時間がなくてもできる限り自分なりの調査を行い、理解した上で市民に語りかけるように意識しています。これは東北大学の研究第一主義の中で鍛えられた、私自身のアイデンティティです。この姿勢は大人になってから身につけようと思っても、なかなか難しい。あの4年間で培われた一生モノの姿勢だと言えるでしょう。
東北大学を目指す皆さんへ。今の「好き」を突き詰めてほし
━━最後に、東北大学を目指す受験生や高校生に向けてメッセージをお願いします。
とにかく、今の皆さんが持っている「好き」や「楽しい」という感性を大切にしてほしいです。将来の姿がまだ漠然としていても構いません。料理が好き、エネルギー問題に興味がある、あるいは私のように教育に関わりたい。何でもいいのです。
その小さな興味の種を大事に育てていくうちに、見える景色は必ず変わってきます。私も最初は学校の先生を目指していましたが、調べていくうちに教育行政という広い世界を知りました。目標が変わることは、必ずしも挫折ではなく、成長し、視野が広がった証拠です。
受験勉強は大変ですし、時には学力だけで進路を選びたくなることもあるかもしれません。しかし、少し立ち止まって、新聞やネットで自分の興味が惹かれる分野を深掘りしてみてください。そこで燃え上がった知的好奇心は、大人になっても、どんな困難に直面しても、あなたを支え続けるはずです。
皆さんと東北大学、そしてこれからの社会で、共に歩める日を楽しみにしています。

手紙
著者:東野圭吾
出版社:文藝春秋
発行:2006年10月
構想力が素晴らしく、自分の常識が覆される瞬間を体験できる小説です。既存の枠組みを飛び越えて物事を考える力は、勉強でも仕事でも不可欠。読書を通じて、そのしなやかな想像力を養ってください。

Profile
内田 広之UCHIDA Hiroyuki
福島県立磐城高等学校、東北大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科修了。文部省(現・文部科学省)入省後、秋田県教育庁高校教育課長、文部科学省教育改革推進室長、福島大学理事・事務局長などを歴任。令和3年9月より、いわき市長(現職2期目)。